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大阪地方裁判所 昭和54年(ワ)70号 判決 1987年11月09日

原告

屋比久修代

原告兼屋比久修代親権者父

屋比久勝

同母

屋比久美鈴

右原告ら訴訟代理人弁護士

中坊公平

谷澤忠彦

右中坊公平訴訟復代理人弁護士

島田和俊

飯田和宏

右谷澤忠彦訴訟復代理人弁護士

岡田勇

被告

大崎敏晧

右訴訟代理人弁護士

前川信夫

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告屋比久修代に対し、金九三四六万三〇〇三円及び内金八四九六万六三六七円に対する昭和五四年二月一一日から支払済みまで五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告屋比久勝及び同屋比久美鈴に対し、それぞれ金三三〇万円並びに内金三〇〇万円に対する昭和五四年二月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第1及び第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告屋比久修代は、原告屋比久勝及び原告屋比久美鈴(以下、原告らを「原告修代」というようにいう。)間の二女であり、被告は肩書住所地において大崎産婦人科医院(以下、「被告医院」という。)を開業している医師である。

2  診療契約の締結

原告勝及び同美鈴夫婦は、被告との間において、昭和四八年九月二〇日に原告美鈴が被告医院に入院する際、出生する子供(原告修代)の分娩、分娩後の原告美鈴の健康管理及びその身体に病的異常があればこれを医学的に解明しその原因ないし病名を的確に診断した上適切な治療行為を求める旨の診療契約を、また同月二一日原告修代が出生した際、同人の法定代理人として、右同様原告修代の健康管理並びにその身体に病的異常があればこれに対する適切な治療行為と治療及び療養方法についての指導を求める旨の診療契約をそれぞれ締結した。

3  原告修代の出生とその後の経過

(一) 原告美鈴(既に二児出産の経験がある)は昭和四八年三月頃被告医院において診察を受けた結果、妊娠しており分娩予定日は同年一〇月末である旨告げられた。

(二) 原告美鈴は同年九月二〇日被告医院に入院し、翌二一日午後三時二〇分頃吸引分娩により原告修代を出産した。原告修代は生下時体重二二〇〇グラムの未熟児であつたが、出生時特に異常は認められなかつた。

(三) 原告修代は九月二一日夕方から足に冷感が認められてクベースに収容され、同月二三日まで酸素を投与された。同月二四日酸素投与は中止されたが引き続きクベースに収容され、翌二五日クベースからコットに移された。

(四) 原告修代には出生直後からいわゆる早発黄疸が認められ、順次増強した。

このため原告美鈴や原告勝は、被告又は看護婦らに対し再三にわたつて「黄疸が強くなつているが大丈夫ですか。」と尋ねたが、被告らは「未熟児は生後四〇日くらいまで黄疸が残るもので心配はありません。」と回答していた。

(五) 更に、原告美鈴は被告に自分と原告修代の血液型検査を依頼したところ、実際には原告美鈴の血液型はO型で原告修代はA型であつて同人はいわゆる血液型不適合児であつたにもかかわらず、被告は誤つて原告美鈴、同修代ともO型であると判定し、血液型不適合の事実を看過した。

(六) 原告修代は同年九月三〇日(生後一〇日目)被告医院を退院した。右退院に際し、原告勝は被告に対し、重ねて修代の黄疸について「大丈夫ですか。」と念を押したが、被告は「大丈夫だ。心配はいらない。」旨断言していたものであり、退院後被告の診察を受けた原告美鈴の問い合せに対しても同様であつた。

(七) 原告修代の黄疸が強いことに危惧の念を抱いた原告勝及び同美鈴夫婦は、たまたま原告勝が経営する時計店に顧客として訪れた小児科医に相談したところ、淀川キリスト教病院で診察を受けるよう勧められ、同年一〇月八日(生後一八日目)同病院で原告修代の診察を受けた結果、核黄疸に罹患し既に手遅れである旨知らされた。

なお、右同日淀川キリスト教病院において交換輸血をするも時機を失していたため効果はなかつたものである。

4  原告修代の現在の状態とその原因

原告修代には強度の運動機能障害が認められ、いまだにはうこと、起きること、座ること、歩くことはもちろん、独力で寝返りすらできず、終日寝たきりの毎日を送つている。

また、手足を自由に動かすことも、物をつかむこともできず、食事・入浴・排便等生活のすべてにわたつて原告勝及び同美鈴夫婦が介助している。

原告修代の右障害は核黄疸の後遺症である脳性麻痺によるものである。

5  被告の債務不履行

(一) 核黄疸について

核黄疸は間接(非抱合)ビリルビンが主として大脳基底核等の中枢神経細胞に付着して黄染した状態をいい、神経細胞の代謝を阻害するため死に至ることが大であり、万一救命されても不可逆的な脳損傷をうけるため治癒不能の脳性麻痺後遺症を残す疾患である。

右核黄疸の発生原因としては、血液型不適合による新生児溶血性疾患と特発性高ビリルビン血症とが存するが、いずれにせよ、血液中の間接ビリルビンが増強し核黄疸となるものであり、差異はない。

プラハは核黄疸の臨床症状をその程度によつて次の四期に分類し、一般に認められている。

第一期 筋緊張の低下、吸啜反射の減弱、嗜眼、哺乳力の減退等

第二期 けいれん、筋強直、後弓反射、発熱等

第三期 中枢神経症状の消退期

第四期 恒久的な脳中枢神経障害(錘体外路症状)の発現

核黄疸の予防・治療方法としては、交換輸血が最も根本的、かつ、確実なものであつて、これは原告修代出生当時も同じであつた。交換輸血は遅くとも右の第一期の間に行う必要がある。

(二) 被告の債務不履行

(1) 新生児が黄疸になつた場合これが増強して重症黄疸になるおそれがあり、また本件のごとき未熟児が重症黄疸になると極めて短時間に核黄疸に罹患し、死亡または脳性麻痺という結果を招来する可能性が高い。

したがつて、被告は原告修代の黄疸の増強程度や一般状態を仔細に観察し、随時血清ビリルビン値の測定を行い、必要とあらば交換輸血を行い、もし被告医院において交換輸血を実施することが不可能ならば交換輸血の適応時機と認められるまでの間に原告修代を交換輸血の実施できる他の病院に転院させる措置をとることにより、核黄疸の発生を未然に防止すべき義務があつた。

しかるに、被告は、原告修代の血液型の判定を誤り、その結果漫然と血液型不適合はないと判断し、黄疸の増強に対する観察測定を怠り、更に核黄疸の罹患を防止すべき措置を何ら講じなかつたことにより交換輸血の時機を失し、原告修代に核黄疸の後遺症である脳性麻痺を生ぜしめた。

(2) 仮に、原告修代が退院した昭和四八年九月三〇日(生後一〇日目)当時まだ交換輸血の適応時機でなかつたとしても、被告は原告修代を退院させるにあたつては、原告修代の身体状況を仔細に観察し、一般状態が良好であることだけでなく、将来重篤な疾病となりうるおそれのある何らかの症状が存する場合には、右症状が増悪する可能性がなく、退院後健康な生活を送りうることを確認しなければならず、増悪する可能性があれば適切な措置を講ずるか、また症状が消失ないし危険性がなくなるまでの間健康管理を行う義務を有する。

しかるに、前記退院時には原告修代にはまだ黄疸が残つており、これが増強して将来重症黄疸となり、ひいては核黄疸に罹患するおそれが存したにもかかわらず、被告はこれを看過し、何ら黄疸に対する措置をとることなく、原告修代を退院させたことにより、結局核黄疸を防止できず、原告修代に脳性麻痺を生ぜしめた。

(3) 仮に、原告修代が退院した昭和四八年九月三〇日(生後一〇日目)当時まだ交換輸血の適応時機でなく、また被告が原告修代を退院させたことが不相当でなかつたとしても、原告修代は未熟児であり、しかも血液型不適合児であつて現に黄疸が発生していたのであるから、その後これが増強し核黄疸になる可能性は当然予測できた。

したがつて、被告は、退院後も原告修代の来院を求めその症状経過を仔細に観察することはもちろん、原告勝及び同美鈴夫婦に対し、黄疸が増強し核黄疸に罹患するおそれがあること、核黄疸に罹患すると死亡もしくは治癒不能の後遺症が残る可能性が高いこと、核黄疸を予防・治癒すべき方法として交換輸血があること、右交換輸血は適応時機を過ぎると効果が認められないものであるから早期に実施する必要があること、核黄疸の臨床症状のうち第一期症状(筋緊張の低下、吸啜反射の減弱。嗜眼、哺乳力の減退等)は核黄疸固有の症状といえずその判断が非常に困難であるからこれらの症状が認められたら何をさしおいても早期に診察を受ける必要があること、交換輸血を実施できる病院等原告修代の退院後の療養方法について詳細な説明・指導をする義務を負つている。

しかるに、被告は、誤つて血液型不適合がないものと考えていたこともあり、このような説明・指導をすることなく漫然と原告修代を退院させたことにより、結局交換輸血の時機を失し原告修代に核黄疸の後遺症である脳性麻痺を生ぜしめた。

6  損害

(一) 原告修代

(1) 逸失利益 二一四七万六四八七円

原告修代は現在就労できる可能性は全くないが、脳性麻痺でなければ満一八歳から六三歳までの四五年間労働可能であるところ、労働大臣官房統計情報部編昭和五二年賃金構造基本統計調査報告書第一巻第一表中全産業の女子労働者の年令別平均賃金に原告修代の年令別ホフマン係数を掛け合わせて逸失利益の現価(訴訟提起時)を計算すると(別紙計算書1のとおり)金二一四七万六四八七円となる。

(2) 看護費用 五〇三二万三一〇四円

原告修代は生活の全面にわたつて付添人による看護を必要とし、看護費用は一か月金一二万円(一日当たり金四〇〇〇円)が相当である。

よつて、原告修代の出生後昭和五三年一二月二〇日までの看護費用(五年三か月間)は金七五六万円である。

また、同月二一日以降の看護費用は、原告修代の余命を七〇年とし(同時点での女子の平均余命は70.78年)、ホフマン式計算によつて現価を計算すれば(別紙計算書2のとおり)金四二七六万三一〇四円である。

これを合計すると金五〇三二万三一〇四円となる。

(3) 治療費 三一六万六七七六円

原告修代は出生後吹田済生会に一か月四回通院しており、通院費用は一回当たり金五〇〇〇円である。

よつて、原告修代の出生後昭和五三年一二月二〇日までの通院費用は金一二六万円である。

また、少なくとも同月二一日以降一〇年間は通院が必要であるところ、その費用は、ホフマン式計算によつて現価を計算すると金一九〇万六七七六円となる(別紙計算書3のとおり)。

(4) 慰謝料 一〇〇〇万円

原告修代は脳性麻痺となり寝たきりの日々を送つているものであり、今後人並みの生活を送る術もなく、その前途は暗たんたるものである。

右苦痛に対する慰謝料としては、金一〇〇〇万円が相当である。

(5) 弁護士費用 八四九万六六三六円

原告修代並びにその法定代理人である原告勝及び同美鈴には法律的知識がなく、原告代理人らに本訴遂行を委任し、弁護士費用として請求金額の一割に相当する金員を支払う旨約した。

(二) 原告勝及び同美鈴

(1) 慰謝料 各三〇〇万円

原告勝及び同美鈴は、原告修代の将来を考え、不安と焦燥の日々を送つている。右苦痛に対する慰謝料としては、それぞれ金三〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用 各三〇万円

前述したとおり、原告勝及び同美鈴は原告代理人らに請求金額の一割に相当する金員を支払う旨約した。

7  結論

よつて、原告らは被告に対し、債務不履行による損害賠償として、次の各金員の支払を求める。

(1) 原告修代に対し、前記損害の合計額である金九三四六万三〇〇三円及び内金八四九六万六三六七円に対する訴状送達の翌日である昭和五四年二月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

(2) 原告勝及び同美鈴に対し、それぞれ、前記損害の合計額である金三三〇万円並びに内金三〇〇万円に対する昭和五四年二月一一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実も認める。

3  同3の事実について

(一) 同(一)の事実のうち分娩予定日については否認し、その余は認める。初診時の予定日は一一月一日であつた。

(二) 同(二)の事実のうち原告修代が未熟児であつたとの点は否認し、その余の事実は認める。

被告は、昭和四八年三月九日の初診時には原告美鈴の最終月経が同年一月二五日であつた旨の申告に基づき一一月一日を分娩予定日と推定したが、同年五月二六日定期検診の際の同女の話では同月二〇日ころから胎動感があるとのことで、一一月一日が分娩予定日とすればその時期は早過ぎるしまたその後の検診内容からも最終月経に疑問を抱き一〇月初旬が分娩予定日になるかもしれないと考えたが、最後まで確認はできなかつた。

したがつて、原告修代がほぼ正常な在胎期間を経過した低体重児なのかそれとも未熟児なのか確定的にはわからないのである。

(三) 同(三)の事実は認める。

(四) 同(四)の事実は否認する。

原告修代は生後四日目くらいからごく軽度の黄疸が出始め、六日目にピークに達したが、それでもイクテロメーターによる黄疸指数2.5の軽度のもので、その後順次軽減し、退院時には軽度の黄疸が残つていたものの一般状態は良好であつた。原告修代の黄疸は新生児に多くみられる生理的な範囲のもので早発黄疸ではない。

(五) 同(五)の事実のうち、被告が原告修代の血液型をO型と判定したこと、血液型不適合がわからなかつたことは認める。これは新生児の血液をへその緒から採血するときに母親の血液が混同して起こりうることで、医師の過失に基づかない不可避的なものである。

(六) 同(六)の事実のうち原告修代が主張の日に退院したこと、退院後被告が原告美鈴を診察したことは認め、その余は否認する。

(七) 同(七)の事実は不知。

4  同4の事実は知らない。

5  同5の事実について

(一) 同(一)の事実は認める。

(二)(1) 同(二)(1)の事実のうち新生児が黄疸になつた場合重症黄疸になるおそれがあるとの点については、「おそれ」といつても程度の問題で、早発黄疸の場合はそのおそれは割合大きいが、通常の生理的範囲の黄疸はそのおそれは非常に少ない。重症黄疸になると短時間内に核黄疸になり、死亡や脳性麻痺を招来するとの主張は医学的に大雑把な主張としては認める。

被告が原告修代の黄疸の観察測定を怠つたとの主張は否認する。被告が黄疸がピークに達した生後六日目にイクテロメーターで黄疸指数を測定したところ2.5(血清ビリルビン値に換算すると7.57ミリグラム)であつて、以後は軽減したにもかかわらず、低体重児というので慎重を期し、通常七日目くらいには退院させるのに一〇日目まで入院させその様子をみたうえ一般状態が良好であつたので退院させたのである。

原告修代は被告医院を退院後数日を経て感染、脱水等特発性の原因により重症黄疸を発症したものであり、交換輸血の時期を失したのはその際原告勝や同美鈴が同修代の黄疸が増強したことを認めながらしばらく放置していたせいである。原告修代は被告医院に入院中に重症黄疸になつたものではないから、被告には交換輸血をし、あるいは交換輸血のできる病院へ転院させる義務はなかつた。

(2) 同二(2)の事実のうち被告が重症黄疸のおそれを看過して、何ら黄疸に対する措置をとることなく原告修代を退院させたとの点は否認する。

低体重児や未熟児は成熟児に比べて黄疸が遷延することが多いが、その場合もピークを過ぎれば漸次下降して最後には消失するのが通常であり、黄疸が軽度で一般状態が良ければ退院させることに問題はない。

本件では、原告修代は退院時は黄疸も軽度で元気な状態であつたから、これを退院させたのは妥当な措置である。

(3) 同(二)(3)の事実のうち被告が説明・指導を尽くさず原告修代を漫然退院させたとの点は否認する。被告は原告勝や同美鈴に対し、もし何か少しの異変でもあれば直ちに被告医院に連れてくるか近所の医師に連れていくように指導した。新生児は容態が急変しやすくしかも予測がし難く、感染症や胃腸炎など新生児特有の様々な病変に侵されやすいから、医師は予想される万病の可能性を一々具体的医学的に説明できるものではなく、退院時の指導としてはこの程度で義務を尽くしたといいうる。

6  同6の事実中、原告修代の年令に関する主張は認めるがその余は知らない。

第三  証拠<省略>

理由

一当事者及び診療契約の締結

請求原因1及び2の各事実は当事者間に争いがない。

二原告修代の出生とその後の経過、現在の状態等

1  請求原因3の各事実中、原告美鈴が昭和四八年三月ころ被告の診察を受け、妊娠が判明したこと、同原告は同年九月二〇日被告医院に入院し、翌二一日原告修代を出産したこと、原告修代の生下時体重は二二〇〇グラムであつたこと、同日夕方ころ原告修代はクベースに収容され同二三日まで酸素投与を受け、同二五日にクベースからコットに移されたこと、被告は原告美鈴と同修代の血液型検査を実施し両人ともO型と判断したが、実際には原告修代の血液型はAであつたこと、同三〇日に原告修代は被告医院を退院したこと、退院後被告が原告美鈴を診察したことがあることは当事者間に争いがない。

2  <証拠>を総合すると次の各事実を認定することができる。

(一)  原告美鈴が初めて診察を受けたとき、同原告は被告に最終月経は昭和四八年一月二五日であつた旨説明したので、被告は分娩予定日は同年一一月一日であると告げた。ところが、同年五月二六日被告が同原告を診察した際同原告が既に胎動を感じたと述べたことや子宮底の高さなどから被告は先の最終月経の説明に若干疑問を持ち、分娩は一〇月ころになるかもしれないと思つたものの、これにも確信は持てなかつた。

(二)  原告修代は吸引分娩により出生したが、前頭位であつて、仮死ではなかつたものの、娩出後少し遅れて泣き出し、顔面はうつ血状態を示していた。しかしそれ以上の異常は何も認められなかつた。

被告は原告美鈴に対し原告修代は未熟児である旨説明し、また自身も原告修代を未熟児として取り扱つた。

(三)  被告や原告美鈴は生後四日目ころから肉眼で原告修代に黄疸が発生しているのを認めるようになつたが、その程度は特に強度というほどではなく、生後六日目に被告がイクテロメーターで計測したところ黄疸指数は2.5であつた。その後、退院する生後一〇日目まで原告修代の黄疸は増悪することはなかつた。

(四)  被告は原告修代の出生した日にその臍帯から血液を採取しABO式血液型の検査を行い、そのとき原告美鈴から同原告の長男や母の血液型も調べて欲しい旨依頼されたので、これも実施した。血液検査の結果、原告修代の血液は抗A抗体、抗B抗体いずれに対しても顕著な凝集を起こさなかつたため、被告は原告修代の血液型をO型であると判定し、原告美鈴にその旨伝えた。

(五)  退院した九月三〇日(生後一〇日目)には、原告修代はまだ軽度の黄疸が残つており、体重も二一〇〇グラムでまだ生下時の体重を下回つていたが、食思良好で一般状態はよかつたため、被告は修代を退院させることにした。退院に際して被告は原告美鈴に対し、何か変わつたことがあつたらすぐに被告あるいは付近の小児科医の診察を受けるよう注意を与えた。

(六)  退院直後原告修代は食思良好であつたが、一〇月三日ころから黄疸の増強・哺乳力の減退が認められ、活発でなくなつてきた。

そこで心配した原告美鈴が、一〇月四日にたまたま原告勝の経営する時計店を顧客として訪れていた小児科医に対し、「先生、うちの赤ちやん黄色いみたいなんですけど、大丈夫でしようか。」と質問したところその小児科医は心配なら淀川キリスト教病院の診察を受けるよう勧めた。

しかし、原告勝が受診を急ぐことはないと反対したことなどから、すぐには右病院に連れて行かず、一〇月八日になつてようやく連れて行つた。

(七)  一〇月八日に淀川キリスト教病院の診察を受けた時点では、原告修代は、皮膚は柿のような色で黄疸が強く、啼泣は短く、自発運動は弱く、頭部落下法で軽度の落陽現象が出現、モロー反射はあるが反射速度は遅い、といつた状態であり、同病院でのビリルビン値測定の結果は総ビリルビン値が34.1ミリグラムで、そのうち間接ビリルビン値が32.2ミリグラム(いずれも一デシリットルあたり)であつた。

原告修代は核黄疸の疑いと診断され、すぐに交換輸血が実施された。

(八)  原告修代は現在強度の運動障害があり、機能訓練を受けてはいるものの、まだ寝たきりの状態である。

以上の各事実を認定することができ、これに反する<証拠>は措信せず(措信しない理由は後述)、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

3  まず、被告の注意義務を確定する前提として原告修代が未熟児であつたか否かが問題となりうるので、この点について検討する。

前記認定によれば、当初の分娩予定日は原告美鈴の最終月経の申告から算出したものであるが、妊婦が最終月経を間違えることはまれであると考えられ、また原告修代が出生児二二〇〇グラムしかなかつたことを合わせると原告修代は未熟児として出生したと認めるのが相当である。更に、被告主張のように未熟児か低体重児か確定的にはわからないとしても、<証拠>によればこのような場合医師には未熟児と考えて取り扱う義務があると認められるから、被告の注意義務の内容を左右することはない。

4  次に、本件においては、黄疸発生の時期及びその増強に至る経過が重要であるので検討する。

<証拠>には、「母親の報告によると退院後吸啜力良好、食思良好だつたという。四−五日前より母親は黄疸の強いことが心配になりはじめ、本日当院受診」との記載があり、また<証拠>には、「生後四日目(すなわち九月二五日)黄疸が出現したがそれほど著明ではなかつた。九月三〇日に軽度の黄疸のまま退院。一〇月三日、黄疸が増強し、飲みがわるく、あまり活発でなかつた。体温も低かつた。」との記載がある。<証拠>によると、これらの記載は原告らが淀川キリスト教病院に来院した一〇月八日に、原告美鈴に対する問診の結果であることが認められるところ、一〇月八日の時点では原告修代の出生直後からの状態についての原告美鈴の記憶は鮮明であつたはずであり、また医師の問診に対してはできるだけ正確に答えようと努力したであろうし、医師もこれを正確に記載したものと推認できる。以上から、<証拠>の記載内容は十分信用できるといえ、これによると原告修代の黄疸は生後四日目に出現し、退院時には軽度であつて、その後しばらくは元気であつたが、一〇月三日になつて黄疸が増強し始めたものと認められる。

右認定に反して、<証拠>中には、原告修代は出生の日から黄疸が発生し、その後増強し続け退院時には相当重症の黄疸であつた、<証拠>に「軽度の黄疸のまま退院」との記載は一〇月八日時点よりは軽度であつたとの説明を医師に対してしたところそのように記載されたものである旨の供述部分がある。しかし黄疸の発生時期については、前記の通り一〇月八日に原告美鈴が黄疸は生後四日目に出現したと説明したと認められ、この方が数年を経てからの本件証拠調期日における供述より信用できるということができる。退院時の黄疸の程度についても、一〇月八日よりも軽度であつたと真実説明したならそのように記載されるであろうし退院後は食思良好であつた等の記載をあわせると、前記供述は信用できない。

5  これらの認定を前提として、原告修代の現在の障害の原因について検討するに、原告修代の症状の経過及び現在の状態と当事者間に争いのない請求原因5(一)の核黄疸の臨床症状などを比較すれば、原告修代が核黄疸に罹患しその後遺症である脳性麻痺により現在の障害が生じたこと、そしてプラハの核黄疸の第一期症状が出始めたのは一〇月三日ころであつたこと、一〇月八日には既に第二期の症状を示していたことを認めることができ、これらを覆すに足る証拠はない。

6  更に、原告修代が核黄疸になつた原因について検討する。

核黄疸の原因として血液型不適合による新生児溶血性疾患と特発性高ビリルビン血症とが存することには当事者間に争いがないが、<証拠>によれば血液型不適合による新生児溶血性疾患によつて核黄疸になる場合は生後二四時間以内遅くとも三六時間以内で肉眼的に黄疸が認められるようになり、一週間以内には肉眼的にも明らかに増強していると認められるという。また<証拠>ではABO式血液型不適合によつて重症黄疸にまで至ることはごくまれであると認められることができ、これらと前記認定の原告修代の症状経過を合わせて考えると、原告美鈴と原告修代の間にはABO式血液型の不適合があつたが、血液型不適合による新生児溶血性疾患が原因で核黄疸になつたと即断することはできないというべきである。むしろ、<証拠>によれば、本件の場合核黄疸になつた原因は究極的には不明であるが、何らかの原因で遷延していた黄疸が退院後の感染、脱水などの事情により急速に増悪した可能性が比較的大きいと認めることができる。なお、<証拠>中には退院後に感染症があつた可能性は淀川キリスト教病院入院時の一般血液検査の結果から否定される旨の部分があり、<証拠>にも感染症によつて黄疸が増強する場合はもつぱら直接ビリルビンが増加するが、本件では間接ビリルビンの方がずつと高くなつているから感染症の可能性は否定できる旨の供述があるが、<証拠>によれば新生児は感染症に罹患しても血液検査ではまつたくわからない場合(いわゆる不顕性感染)があり、また感染症でも間接ビリルビンが増加することは極めてまれでありうると認められ、右認定に照らすと感染を否定できるとの前記各部分は信用できない。

三被告の債務不履行

1  請求原因5(一)は当事者間に争いがない。

2  原告らは、被告において原告修代の観察測定を怠り、核黄疸の罹患を防止すべき措置を何ら講じなかつたことにより、交換輸血の時期を失したと主張する。

しかし、前記認定のとおり、原告修代にプラハの核黄疸の第一期症状が出始めたのは退院後の一〇月三日頃のことであり、退院時にはまだ黄疸は軽度であつて交換輸血の適応時機ではなかつたと認められるから、被告が原告修代の入院中に交換輸血の実施または交換輸血の実施できる他の病院への転院という措置をとるべき注意義務はなかつたとするのが相当である。

3  次に、原告らは、被告は原告修代の退院時期の判断を誤つたと主張するので、新生児黄疸に対する観察等及び新生児を退院させるかどうかの判断につき被告にどの程度の注意義務が課せられるのかを検討する。

(一)  <証拠>によれば、核黄疸防止のための交換輸血の適応時機の決定に最も重要な意義をもつのは血清ビリルビン値であつて、血清ビリルビン値の核黄疸発生に関する危険閾値は一般的に成熟児では一デシリットルあたり二〇ミリグラム、未熟児では一五ミリグラムとするのが定説であることが認められるが、<証拠>によれば昭和四八年当時は独自に血清ビリルビン値の測定する開業医はほとんどなく、一般に開業医としてはまず肉眼及びイクテロメーターを用いて黄疸の程度を観察し、黄疸が強ければ血清ビリルビン値の測定のできる医療機関に測定を依頼したり、転院させたりするなどの処置をとるのが通常であつたこと、<証拠>によれば血清ビリルビン値の検査を行うべきか否かのイクテロメーターの限界値は4.0とするのが最も普遍的であることが認められる。

(二)  更に、黄疸の生じている新生児を退院させるか否かの判断基準については、<証拠>によれば、未熟児であつて黄疸が消失していない新生児であつても、体重が増加傾向にあり、一般状態が良く、黄疸も軽度なら退院させることに特に問題はなく、ABO式血液型不適合が当初からわかつていたとしてもこれによつて重症黄疸になるのはまれであるから同様に考えてよい、と認められる。

(三) 被告は、前記認定によれば、原告修代の生後四日目に肉眼で黄疸が出現しているのを認め、生後六日目にイクテロメーターで黄疸指数を測定し(測定値は2.5)、生後一〇日目に黄疸が増強しておらず軽度であり、一般状態が良いことを確認してから退院させている。

これによると、生後六日目の時点では被告に血清ビリルビン値の測定を他の医療機関に依頼する等の義務はまだ発生しておらず、退院の日である生後一〇日目においても黄疸の程度は少なくとも生後六日目と同程度であつたと認められるから、その義務はなかつたものといえるのである。

また、退院させるかどうかの判断についても、被告は黄疸が軽度で一般状態の良いことを確認しており、更に退院直後から一〇月三日までは原告修代は食思良好であつたのだから体重も増加傾向にあつたと推認することができるのであつて、前記認定の判断基準に照らして義務違反があつたとは認められない。

4  ついで、原告らは、被告には原告修代の退院に際し、原告勝及び美鈴夫婦に対し、核黄疸につき説明を与えたうえ、退院後の療養方法につき具体的な指示をする義務があるのに、これを怠つたと主張する。

しかし<証拠>によると、原告ら主張のような説明を与えるのが望ましいことはいうまでもないが、新生児特に未熟児の場合は核黄疸に限らず様々な致命的な疾患に侵される危険を常に有しており、それら全部につき専門的な知識を両親に与えるのは不可能であるが、新生児がそれらの疾患に罹患すれば普通食欲の不振等が現われ全身状態が悪くなるのであるから、退院時には新生児の全身状態に注意し何かあれば来院するか他の医師の診察を受けるよう指導すれば一応の注意義務を果たしたことになると認められる。また、ABO式血液型不適合があると当初から判明していた場合であつても、前記のようにこれによつて重症黄疸になるのはまれであるから、同程度の指導で足りるというべきである。

これらの基準を本件の被告の行動にあてはめてみると、前記認定によれば被告は原告修代の退院時に原告美鈴に対し、何かあつたらすぐ被告医院を来院するか近所の小児科医で診察をうけるよう注意を与えているのであるから、退院時の指導に特に不足があつたということはできない。また、被告は原告修代の血液型判定を間違つたが、<証拠>によれば臍帯血は抗原抗体反応が弱い場合もまれにあるが、判定を慎重にすることや、再検査の実施により判定の誤りは防止できると認められ、これによると被告には血液型判定を誤つたことにつき慎重さを欠いたあるいは再検査を怠つた過失があると推認されるものの、たとえABO式血液型不適合の事実が判明していたとしても同程度の注意義務が課されるのであつて、被告はこれを満たしているのだから、被告のこの過失は損害とは因果関係がないと考えるべきである。

なお原告らは、原告修代の黄疸に不安を抱き、再三被告にその点は大丈夫かと尋ねたが、終始心配はいらない、大丈夫であると説明されていたこともあつて適切な治療を受ける機会を奪われたと主張しているとも解されるので、最後にこの点について検討する。

原告勝、同美鈴は、原告らの右主張に副う供述をしている。右各供述はそのままには信用することはできないが、被告も原告修代の黄疸は重症化の恐れはないと判断したからこそ退院させたものであろうし、退院後の経過、殊に原告美鈴が一旦は原告修代の黄疸に不安を抱き、近所の医師に淀川キリスト教病院に行くようにと勧められたのに、原告勝と話し合つた結果すぐには同病院に行かなかつたこと(この点について原告勝、同美鈴は、被告があんなに何度も大丈夫といつているのだから心配することはないだろうということになつて、すぐには淀川キリスト教病院に連れていかなかつた、との趣旨の供述をしている。)などを合わせ考えれば、少なくとも原告らの主張するような趣旨の説明があつたと原告勝及び美鈴夫婦が理解したことは疑いないものと考えられる。

ところで、被告が原告修代の血液型の判定を誤つたことは前記のとおりである。したがつて、被告は、原告修代には右血液型不適合による重症黄疸発生の可能性はないとの誤つた判断をしていたことになる。そして、このような判断の誤りが、その後の原告勝及び美鈴夫婦に対する原告修代の黄疸についての指示説明にも何らかの影響を与えたであろうことは否定できないであろう。しかし、血液型不適合以外にも新生児に重症黄疸が発生する種々の原因があることは前記のとおりであるから、被告の説明も差し当たつては黄疸が重症化する心配はないという程度のものであつたと解するのが相当であろう。したがつて、このような被告の説明によつて原告勝及び美鈴夫婦が、原告修代の黄疸が重症化する恐れは将来ともに全く無い、あるいは殆んど無いと誤解したとしても、この点では被告の責任を問うことはできない。

ただ被告は、原告修代の血液型はA型であると原告美鈴に説明しているのであつて、このことは血液型不適合による重症黄疸発生の可能性はないという誤つた説明をしたことにほかならない(この血液型判定について被告の過失を推認せざるをえないことは前記のとおりである。)

本件では血液型不適合が原告修代の核黄疸の一因を成したと積極的にこれを認定することが困難であることは前記のとおりである。しかし、もし原告勝及び美鈴夫婦が被告から、原告修代の血液型不適合の事実を説明されておれば、(もつとも、医学的知識の乏しい同原告らが、それは単に重症黄疸となる一つの原因に過ぎないということを正確に認識し得たかは疑問である。)あるいは同原告らが、原告修代の一般状態、ことに黄疸の消長についてより慎重に観察して異常と気づき、適切な医療機関に、適切な診断治療を受けることにより、核黄疸の発生を防止し、あるいは少なくとも現在の程度の重症な後遺症は防止しえたのではないかという疑問は残る(本件では、原告修代の血液型検査が原告美鈴らの依頼によつてなされたか否かの点については争いがあるが、<証拠>によれば、少なくとも原告美鈴は自分の血液型がO型であることや原告修代が第三子であることなどから原告修代の黄疸を不安に思い、その血液型には強い関心を抱いていたものと認められる。)。

しかし、この可能性がどの程度確実なものかの点について原告らに有利な、かつ十分な立証のない本件においては、それも一つの可能性として考えられるという程度にとどまるというほかはないのであつて、結局前記の説明の誤りと原告修代の現在の症状との間に因果関係を認めることはできないものというべきである。

5  このように、原告らの主張する被告の債務不履行はいずれも認めることができない。したがつて、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの請求は理由がないことになる。

四以上の次第で、原告らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官井筒宏成 裁判官高橋文仲 裁判官坪井祐子)

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